海を行く 思ひをのせて はらむ帆に 船や進まん ザ・ロープ展 富舟
展示会を見に来てくれた歌詠みの友人が30回という歴史に贈るということで送られてきた祝い歌一首である。
第30回ザ・ロープ展が恒例どおり、新春1月15日から30日の間、64作品を集めて開催された。毎年この催しを迎えるたびに、いささかの誇りと晴れがましさに胸膨らむ思いがするのであるが、今年はとくに30回展ということでその思いが強かつた。30年という我がロープの歴史は、多くの先達の帆船模型に対する倦むことのない熱意と歴代の幹部の方々のグループ運営に尽くされた努力の賜物であり、それ以上にこのザ・ロープ帆船模型を、新春の銀座風物詩の一つとして定着するまでに育てていただいた伊東屋のご支援のお陰である。
ザ・ロープ発足時のメンバーは7人。30年の歴史を経た今、会員数
124名。一国一城の主を自負し、個性豊かな方々の揃つたこの大所帯をまとめ、30年という、趣味のグループとしては稀有ともいえる歴史を積み重ねてきて、今日を迎えるということは、帆船模型の魅力という強い絆で結ばれているとはいえ、次々と新たな企画を樹て実行し、沈滞することのないよう会をリードして来られた幹部の方々のリーダーシップと、夢を追い続ける会員の皆さんが次々とレベルの高い作品を発表して来たお陰であろう。この素晴らしい歴史と今30回展を寿ぐとともに、その歴史の中のほんの僅かな年月であるが会員の末席に連なり今日を迎えることは、本当に晴れがましくも嬉しいことである。
恒例のオープニングパーティでのご挨拶の中で、伊東屋塩沢取締役は、30年という歴史を数字で表すと、と前置きされて次のようなことを披露された。「30回に及ぶ展示会での総出展作品は1600隻。これを1隻1メートルとおいて、銀座通りに並べると、1丁目から8丁目の博文館に至りそれでもまだ余り、折り返して4丁目交差点まで来ます。来訪者は総数26万人。これは柏市の人口が32万ということなので、その9割近い人がこの展示会を訪れて頂いたことになります」
流石に、30年間、ロープ展に温かい目を向け続けていただいた方の、分かりやすくもあらためて30年の歴史の重さを再認識させて頂いた見事な比喩であつた。
ところで、といっては失礼であるが、伊東屋は昨年、創業 100周年を迎えられた。遅ればせながら祝意と敬意を表するものである。伊東屋創業の明治37年(1904年)は、奇しくも我が日本が世界に大国としての存在感を容認される端緒となった日露戦争の開戦の年である。伊東屋
100年の歴史は、このことが示すように、激動の20世紀とほぼ重なる。この間銀座は、世界の名だたる一流ブランド店が数多く集まる今からは想像もできない、大災厄による壊滅に2度見舞われている。関東大震災と第2次大戦の戦災である。二度も灰廃に帰したこの地にあつて不死鳥のごとく甦り、今日、赤いクリシプを目印に多くお客様が訪れるという繁栄があるのは、歴代の経営者の皆様の不屈の精神と時代を読み取り将来を洞祭する慧眼があったからこそであることは、今ここで改めて申し上げるまでもない。また訪れるたびに秘かに楽しみにしているのは店内を流れる静かなBGMであるが、モーツアルトを中心とした古典派の音楽(先日は珍しくベートーベンの1番が流れていたが、ここらまでを区切りとされておられるのか?)中心の選出は、程よく控えめな音量と相侯って、お店の見識と品位・風格を象徴していると思う。この伊東屋100年の歴史の中に、我がザ・ロープが30年の歴史を刻ませていただいたことは本当に幸運かつ光栄なことである。
さて展示会は先ず前日の会場設営から始まった。今年も、企画デザインは会員肥田純さん。伊東屋とも入念な事前打ち合わせを重ねプランを策定された。肥田さんの指揮下、伊東屋のご担当の方々、総出のロープ役員諸兄に、搬入を済ませた会員の飛び入り参加の有志の方々も加わり、昨年の経験もあつて手際よく作業が進められ、予定時間より早く会場設営が終わつた。設営と平行して、作品搬入も順調であつた。製作者諸兄の、誇らしげな顔、安堵の色溢れる顔、少し首を傾げながら心残りのあるような表情で作品を取り出される方は慎重派の方であろうか。さまざまな思いを乗せて、次々と整備されつつある展示台に載せられてゆき、気がつくと力作・労作の勢ぞろいが終わっていた。なお、展示会閉幕後、皆さんの作品が搬出された後の会場の撤去作業もほぼ同じメンバーで行ったことをご披露しておきたい。
オープニングの日、TVが繰り返す「雪になるかも」という予報に、昨年の初日を思いだし、気がかりになって、「枯れ木も山の賑わい」になればと会場に出かけた。今にも降り出しそうな空にもかかわらず、銀座通りの人出は多かったので、この分ならと期待したが、やはり天候の影響はまぬかれず、例年より多少出足は落ちたが後半は盛り返し、折り返しの中日23日の日曜日は雪の舞う中であるにもかかわらず820人の来訪者で会場は溢れるなど、来訪者は8093人となった。
ゆかりの深い方々も多くご来訪頂いた。昨年、羊蹄丸にザ・ロープ常設展示場をご提供いただいた船の科学館からは小堀部長、飯沼課長、前畑さん、梶谷さん。例会で講演いただいたウッディジョーの常木社長、荒田部長。北三(株)(ワトコオイル)の自井さん、宮沢模型(株)宮沢社長。JSMCの発足に伴ってますます絆を深めた各地の同好会からは、札幌帆船模型同好会小林会長さん、福島帆船模型同好会大塚さん、マイシップクラブ増渕さん、浜松帆船模型友の会ザ・セールからは西尾会長さんと奥田さん、ザ・ロープオーサカ大森会長さん、神戸帆船模型の会谷日会長さんと藤井さん、大石事務局長さん、ザ。ロープ九州から印寿さん(以上は北から順)。そのほかに祝電も多く頂いた。なおご来訪の方に記載漏れの失礼があるとしたら筆者の責任である。その場合は何卒ご寛怒賜りたい。
会場のレイアウト・デザインは昨年とほぼ同じ。今年は新しい試みとして、伊東屋から帆船模型キットを提供し、各所に置いたこと。出来るだけ箱を開き中を見せて、来場者の関心を惹くことを狙ってみた。成果は未確認であるが、かなり多くの方が売り場のあり場所を聞かれていた。又、展示の配置を、これまでの時代順からキットからの製作作品とスクラッチに大別したことは、来訪者の中から分かりやすくていいとの評価もあつた。一応成功と見てよいのではあるまいか。
64点の作品が、30回展を彩った。私の独りよがりの感想であるが、いくつかの作品を見てみたい。もちろん作品すべてその前に立つと、作者の皆さんの作品に籠められた思いが伝わってきて感銘したが、紙数に限りがあるので残念ながら多くに触れることが出来なかつた。お許しいただきたい。会場に入って正面、先ず目に留まるのは津久居廣さんの「ファラオツタンカーメンの聖なる船」。私が拝見している限リエジプトシリーズとも言うべきだろうか、古代エジプトの船が続いているが、今回の作品がパステルカラーの色調が少し柔らかく淡くなつたように見えるのは思い違いであろうか(私の好みではあるが)。 また今回初めて気が付いたのだが船台の中央に引き出しが付いているが、前面の木目が揃つていて、こんなところにもこだわりがあるのかと感じた。贅沢極まりない宝石箱である。宝石といえば、坪井悦郎さんの「ルノメ」。模型としての感想はいまさらくどくど申し上げるまでもない。これは、どこかでも嘗て申し上げたことがあるが、まさに「木の宝石」である。
赤道達也さんの「明治丸」。精妙な製作技術に驚かされる。今にも走り出しそうな姿勢である。現在、東京海洋大学(旧商船大学)の構内に保存されているが、その姿は改造後。作品は1874年ネピア造船所(英国)で建造されたときの、トップスルスクーナの姿を再現したもの。保存船を仔細に観察はされたが考証に苦労されたと伺つた。明治9年(1876)明治天皇が東北巡幸の帰途、青森から横浜まで乗船され、横浜港到着の日が7月20日。この日を国民の祝日である「海の日」としたことは知られているが、海洋大学に保存されているこの船が、国の重要文化財に指定されていることを知る人は少ないのではあるまいか。わが国に現存する唯一の「鉄船」で鉄船の造船技術を今に残すことが評価されたのが理由である。(赤道さんから頂いた資料による)。
キットによる作品から回つてみよう。大池誠さんの「 グレーテル」。小さくともキラリという言葉が当てはまる。ステンドガラス用のガラス板を窓に使い、装飾を真鍮線で作られたとのこと。見所の一つである。船体と帆とのバランスが程よいのも良い。船架に怪魚が使われている。得てしてこういうものは船の印象を弱めるものであるが、これが一向に目障りにならない。全体の印象の中に溶け込んで、黒子役に徹している感じがするのは構成の巧みさであろう。
安藤雅浩さんの「 カッティサーク」はキットからというのは本当ですか、といいたくなる。保存船の図面に基づいて徹底的に麟装品を作り直すのではなく新作された由。夏の30周年記念展には完成した姿を見せるとのことである。極めつけの「カッティサーク」となることは間違いない。
東康生さんと古屋白夫さんの「あこがれ」。これにウンデイジヨーの好キットの展示が加わり、さしずめ「あこがれコーナー」といつた感じの一角は人を惹きつけていた。同じキットからどうしてこんなに違う船が出来るのですか?はたびたび聞かれることであるが。今回も同様であった。「人が違えば違う」というのはこの種の質問に対するこれまでの定番の回答であるが、もつと納得できる回答がしたいとかねがね考えていた。このキット第1号で製作を始め、メーカーの加える改良に沿いながら製作を進めた東さんに、キットの評価をお聞きしようとお話しをしているうちに、模型哲学論になり、不遜かつ無謀にも論議を変わす仕儀と相成った。東さんのお話から私なりに解釈すると、実感を追及するか、模型としての美しさを追及するかによつて、その模型への具現の仕方が変わると考えても良いと思う。
東さんの表現をお借りすると、ロープの主流である“AUTHENTIC MODEL"と肥田純さんの作品に見る“INTERIOR
MODEL"である。この2つは対極にあるものではなく、並存する2つの潮流であり、その境界が明確に区切られ、できあがった模型がそれに従って画然と層別できるものでもない。またこの2つが見事に融合しているものもある。ましてやいずれが優れているとかあるべき姿であるというものでもない。また製作に当たって、それを意識して作られているかどうかも疑わしい。製作者の好みとかねらい目という言葉で表現されるものが結果として作品の雰囲気に現れるものと考えるのが妥当であろうと思う。東さんとの論議を踏まえると、「あこがれ」については、東さんの作品が実感追求型、古屋さんの作品は模型美追求型とでも言えばよいのだろうか。いずれも印象深い作品であった。
先へ進むと、田中武敏さんの「プリンス・ウイレム」。ハルモデルながら前に拝見した「チャールズ・モーガン」の雰囲気が思い出される。会場の一角に置かれたキットの中にこのキットがあったので中の図面を開いて見て、改めて作品を拝見すると船尾の鶏小屋やボートなど、随所にキットには無いものが付け加えられている。とくに鶏小屋(すみません。はじめは豚小屋かと思いました)などは田中さんの遊び心が伺われて、ニヤリとした。「製作に追われて」と仰つておられたが、どうしてどうして、そんな中にも余裕を持ってこのような遊び(?)ができるとは。田中さんのユーモアのあるお人柄であろう。船体も、幾種類かのフトコオイルを使い分けてアクセントを付けられたとのこと。木の地を生かした船体製作の参考になろう。
小田衛さんの「 トロア・リス」。ボートなどを付け加えての再登場。再会できて痛しかった。たまたま居合わせた東さんが、「写真を整理していて、あれ?こんな船あったつけ?
と思つた。写真で見ると、小さいとは感じさせない作品だ」と賞賛されておられた。同感である。帆は新宿の岡田屋で一番薄い木綿の生地(ローン)を買つて作つたそうである。かつて、亡き竹内さんから、「スケールモデルを作る中で、縮尺に最もそぐわないのは帆だ。表現が難しい」と聞いたことがある。竹内さんの技量を以てしても然り。自分の未熟な技量を棚に上げて言うのは生意気であるが、縮尺を離れてどう表現するかが船の印象に大きく影響すると思う。今回の展示作品の中にも、折角見事にできている船体が、帆でトータルの印象を大味なものにしてしまうという作品を散見した。そういう意味で、この小田作品は、参考になると感じた。小田さんについては、余談であるが、昨年出品された東郷元帥ゆかりの「ハンプシャー」、今年は日本海海戦100周年なのでお待ちしていたのですが、とお尋ねしたところ、1.5ミリ(本当は1ミリが欲しいのだがと言われた)のデンドアイの製作がうまくいかなくて、とのこと。「来年はぜひ」と申し上げたら、「がんばってみます」とのご返事であつた。
ところで、展示作品はすべて力作。労作である。そういう中から、抜きん出た作品を名作と呼んでいいと思うのだが、その違いを言葉でどう表現したらいいかずっと探し続けていた。この正月、久しぶりにのんびり出来て、詩人ブァレリーの詩論を読んでいて、換骨奪胎の解釈と思うのだが、こんな思いを満たしてくれる言葉に出会った。「詩人には、一字一句の末に至るまで適当な表現が厳しく要求される」という論旨を受けて、「これらの意力と欲求とは自らの努力の跡をすつかり消し去るまで、詩作に働きかけねばならない。」(長い文章なのでごく一部を引用)という言葉である。(筑摩書房刊;ヴァレリー全集6巻「追憶の泉」;中村光夫訳から)
確かに、正統派AUTHENTIC MODEL(東さんの言葉を拝借)の名作というべき白井さんや中国さんの作品には、私には知ることのできない大変な努力があるはずなのに努力の跡を窺い見ることができない。それが巧みに消し去られているのである。これらの名作に私ごときが評などはもってのほかである。たまたま、当番のとき説明の機会があった西欧の婦人のエピノードを紹介しておくにとどめる。
中園さんの船に前に待んでじっと見つめている一人の西欧のご婦人がいたので、お節介と思つたが話しかけた。ある出展者の友人とのことであつた。見所?というので、坪井さんの作品の前にあつた天眼鏡を持つてきて、ロープを見てもらつた。ロープの能り目がきれいに見えたことに驚きの声を上げられた。もちろんリギングの見事さはお話した。白井さんの船では、全体の印象をよく見てほしいと申し上げ、この素晴らしい印象を形作つているのは隅々まで行き届いた配慮であると説明して、その一例としてボートの細部の細かい墨入れを紹介した。次いで、肥田純さんの「ロレノク」の前に行く。「欲しいね!」最高の褒め言葉である。土屋さん、久保田さん、坪井さん、津久居さんらの作品も一緒に見て回り、私なりのコメントも付け加えさせてもらった。
作品の感想に戻る。肥田さんの「 ロレノク」は、度々お宅にお邪魔した都度、製作工程の進行を拝見しているので、いまさらと思うが、インテリアとして楽しめる作品を目指したというだけあつて肥日さん一流の表現力と相侯ってトータルとしての見事な雰囲気作りを完成させている。もちろん船単独でも、模型美を追求具現するという肥田さんの意図が見事に昇率して素晴らしい“Modelship"
となつている。( これも東さんの表現を拝借)なお、来場の方から塗装について質問されたので、この肥田さんの船を塗装の最高の事例として挙げ、その前で生半可な知識ながら一席ぶたしてもらつった。肥田さんに言わせると「な―
に。難しくはないよ」とのことだが、名人の難しくないという言葉は未熟者には通じないのである。ただ、昨年「忍路丸」の塗装で教えを乞い、「要はびくびくしないこと」と言いわれたので、それを信じて「エイヤッ」と取り組んだところ、それなりの出来栄えに上がった。名人の言や良しである。
土屋勝司さんの「ル・フルーロン」。船体を横割り3して、中身を見せるという奇抜なアイデアに脱帽である。構造模型としての見事さはここで改めて言うまでもないことであるが、「どこからでも見てください」と自信の溢れた作品である。私などは、沢山同じ部品を作ると、出来の悪い部品(たとえば大砲など)は港側に回して取り付け誤魔化してしまうので、後ろめたく思った。
久保田栄一さんの「 ベローナ」。逸品である。昨年のハルモデルの状態からこうして完成した姿を見せると、流石に威風堂々。思わずエルガーのメロディが日笛に出そうになるのをこらえて拝見する。戦列艦はこのくらいの縮尺が、本来の堂々たる雰囲気を醸し出してくれるのかなと思う。目線が私の背丈だと作品の丁度真正面に来るので、折角の見せ場である左舷と右舷を作り別けられたところや甲板が見えず、内部も窺い知ることが出来ないので、横に回つて左舷側を眺め、人の少ないのを幸い柿子を持つてきて上から覗き込んだ。当然2層。3層もきちんと作られていて細工の見事さが見られる。船首近くの煙突の下には釜も備えられていて、久保田さんの洒落っ気を垣間見るような気がした。「まだまだ間違いがあつて」とっておられたが、まったくの御謙遜である。安藤さんに自作の説明をされるのを後ろから拝聴していたのだが、フレームの材質は桂。もちろん銘木店で購入され製材したもの。フレームの厚さを揃えることも大切だが、それ以上にフレームの間隔を揃えることに腐心したと言つておられた。このあたりの配慮と技術が船を見事に整然とした印象に仕上げている要因なのであろう。なお、同じことは土屋さんも言っておられた。
最後になった。宮島俊夫さんのレリーフ「コンスタンチノープルの陥落」。歴史上あまりにも有名な出来事の一場面をティントレット(イル;1518~
1594;ヴェネチア派の大家の一人)が描いた絵を原画にされている。宮島さん自身の解説にもあるとおり原画に無いロープを付け加えられていて彫る際に背景と重なり苦労されたとのことだが、これが場面の奥行きを深める効果となって作品を大きく見せている。多くの人々の足を留めさせていた。
そのほか、心打つ作品としては、奥村義也さんの「シェナンドア」が示す、なお新しい作風を試みようとされる尽きることない探究心に感動。彦澤正明さんの遊び心溢れた「 ハンター」は、左舷の砲煙が見えないのは残念だが動きのある人形達が微笑を誘ってくれた。岩本和明さんの「 バージエア・スループ」も細部のこだわりとともに、乗り組んだフィギュア達の面白さにユーモアを感じた。新井芳文さんの「ハリファックス」は、羊蹄丸の「夢工房」で製作中の姿を拝見して心待ちにしていたもの。さわやかな仕上がりが良い。渋谷篤さんの「
ファントム」。帆の作り方を真似してみたいと思っている。畏友高橋宏さんの「コンスティチューション」。工程が途中までながらいつもどおり乱れがない。昨夏奥様を突然失われた心の痛手の中から、よくぞここまでと思った。
さて、お前さんはいったいどうなんだい? と言われそうなので、自戒といささかの自虐を篭めて、狂歌一首。
我が船は 誤魔化し続き 手抜きあり 不似(富士)の姿を 台上にぞ見る 大方同感
製作中は「たかが模型」。しかし、作品が展示台に置かれると「されど模型」なのである。第30回ザ・ロープ展は盛況のうちに無事閉幕した。英国の諺(あるいは詩の1節だったかも)に、「4月の雨は5月の花を齋す」とある。古船の製作も今年の苦労が来年の展示会に花咲くのである。すでに次作に向けて始動されておられる方も多いことであろう。皆様の御健間を祈りつつ筆を欄く。(本稿は東康生さんに多大の御教示を頂いた。深甚なる感謝を捧げる)
(松本善文)