資料No | B-01 |
資料名 |
丸木舟から和船, 機帆船へ : 日本の船の歩み |
著者 | 野本 謙作 |
掲載誌 | らん:纜/16 巻 (1992)/書誌 |
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資料No | B-01 |
資料名 | 昔の日本の船事情 |
著者 | 岩本 才次 |
掲載誌 | 日本航海学会誌 NAVIGATION/164 巻 (2006) |
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資料No | B-01 |
資料名 | 人間と船の歴史をみつめて : 3編 東方の船 |
著者 | 塙 友雄 |
掲載誌 | 関西造船協会誌/205 巻 (1987)/書誌 |
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資料No | B-01 |
資料名 | 大和型船序説(その1) : 最後の和船のプロフィール |
著者 | 小佐田 哲男 |
掲載誌 | 日本造船学会誌/519 巻 (1972)/書誌 |
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資料No | B-01 |
資料名 | 大和型船序説(その2) : 最後の和船のプロフィール |
著者 | 小佐田 哲男 |
掲載誌 | 日本造船学会誌/534 巻 (1973)/書誌 |
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資料No | B-01 |
資料名 | 大和型船序説(その3) : 最後の和船のプロフィール |
著者 | 小佐田 哲男 |
掲載誌 | 日本造船学会誌/551 巻 (1975)/書誌 |
内容 | 北前船の「前の字」にっいては諸説紛々である。1江戸前の前」に同じくf前庭」の意なれば,北前とは北の庭すなわち日本海の義なりとか,「男前(オトゴマエー上方語の美男子)の前」だから北海の美称だとか,あるいはまた,キタマエに非ず「キタVイー北米」が正しいのであって,北へ米を運ぶ船だとか,等々。とにかく北前船なる呼称は専ら上方で用いられたものらしい。 |
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資料No | B-02 |
資料名 |
千石船 |
著者 |
松木 哲 |
掲載誌 | 日本造船学会誌/619 巻 (1981)/書誌 |
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資料No | B-02 |
資料名 |
粟崎八幡神社の船絵馬 |
著者 |
小嶋良一 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会誌 KANRIN(咸臨)/95 巻 (2021) |
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資料No | B-02 |
資料名 |
粟崎八幡神社の精緻な船絵馬 |
著者 |
小嶋良一 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会誌 KANRIN(咸臨)/95 巻 (2021) |
内容 | 石川県金沢市の粟崎八幡神社は弁才船の構造や航行の模様を精緻に描いた船絵馬の秀作を数多く 伝えており,それらは第 2 回(2018)のふね遺産に認定されている。 ここに紹介する船絵馬はその中の一つ。 |
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資料No | B-02 |
資料名 |
復元された菱垣廻船「浪華丸」の意義について |
著者 | 小嶋 良一 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会講演会論文集/22/書誌 |
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資料No | B-02 |
資料名 |
弁才船の帆柱の立て起こし要領に関する考察 |
著者 | 小嶋 良一 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会講演会論文集/22/書誌 |
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資料No | B-02 |
資料名 |
弁才船の帆柱の立て起こし要領に関する考察-2 |
著者 | 小嶋 良一 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会講演会論文集/22/書誌 |
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資料No | B-02 |
資料名 |
弁才船奉納雛形の木割 |
著者 | 小嶋 良一 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会講演会論文集/28/書誌 |
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資料No | B-02 |
資料名 | 野本謙作先生の「我が国の沿岸帆船研究」について |
著者 | 増山 豊, 梅田 直哉 |
掲載誌 | 日本船舶海洋工学会講演会論文集/20/書誌 |
内容 | 江戸時代に一世を風靡した弁才型(日本形)の帆船が,明治以降一足飛びに西洋形帆船に移行していったようにしばしば語られるが,実際にはそうではなかった.その過程において「合いの子船」と呼ばれる日本形と西洋形の折衷の船が,我が国の各地で建造されるようになり,昭和期までの長い間にわたって用いられた. |
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