大盛況。“第一回帆船模型展”の見出しが躍っている。読んでいるのは、1976年(昭和51年)3月発行の伊東屋さんの社内報創刊号だ。今年は、私たち「ザ・ロープ」が生まれて35年目になる。そうだ・・・と思いたって古いファイルから取り出してきたものである。そもそも私たち「ザ・ロープ」の帆船模型展は、今は9階に移っているが、当時7階に新設された展示場のこけら落としのイベントとして、現社長の父上である先々代の伊藤今回の第34回展も大賑わいの展示会場恒夫社長の企画で開催された。
開催してみると、各マスコミの注目を浴び、新聞、雑誌、テレビに街のニュースとして掲載されただけでなく、人気番組だったTBSの「3時にあいましょう」、フジテレビ「小川宏ショー」などにも大きくとりあげられた。ソニー会長だった井深大、作家の早乙女貢、森繁久弥さんなど多くの著名人が訪れて来場者は7,500人にもなった。予想もしなかった大盛況に、開催した自分たちも信じられない思いで狂喜したことを覚えている。
以来、伊東屋さんの年頭イベントとして定着した。一昨年の第32回展オープニングの席上、伊東屋社長から“銀座の風物詩”とまで称えられるようになった展覧会である。昨年、私たち「ザ・ロープ」の誕生母体であり、36年も続けられた伊東屋の帆船模型売り場が閉鎖された。それに伴う諸問題もあり、歴史ある展覧会の存続も心配されたが、今年も無事に、というよりは、これまで以上の実績を残して第34回展を終えることが出来た。これも、ひとえに第一回以来、私たち「ザ・ロープ」の最大の理解者である伊東屋社長の3代にもわたり引き継がれてきた“男のロマン”のお陰と感謝している。
昨年の33回展にくらべ開催期間が3日少ない16日間だったにもかかわらず、来場者数は6,668人、一日の平均来場者数は417人で、昨年の420人とほぼ変わらない数を記録できた。特筆すべきことは、女性来場者が激増で、来場者の30%にもなった。これまでも「玄関に置きたいから、あなたも造ってみては・・・・」と、会場で奥様に迫られ、苦笑するご亭主を微笑ましく眺めてきた。今年は、友達と連れだった中年のご婦人たち、会社帰りと思われる若い女性が一人で、ゆっくり会場を見て回っている姿が印象的だった。伊東屋周辺が高級ブランドショップ街に変貌したこともあってだろうか・・・・。いずれにしても、男性専科の世界を女性にまで広げられたこと、世の移り変わりを敏感に反映した展開を喜んでいる。
今回の第34回展は、出品数が少ないのではないかと懸念されたが、開いてみると会員の作品55点と一般参加4点、アメリカの姉妹同好会SMA(ShipmodelersAssociation)から5点、昨年亡くなった白井会員が病床で情熱を燃やしたアメリカ南北戦争当時の蒸気フリーゲート”バージニア"の情景模型。野上会員が晩年の執念を傾けた中国船の代表作"鄭和のジャンク"と遺作2点を合わせて64点が出品され、会場一杯、狭いばかりの展示になった。
近年の傾向である出品作品の小型化で、一見すると地味ではあったが、同一船の出品が少なかったこともあり、この数年で最も多彩な展示になったと思っている。作品の小型化は、会員の老齢化によるという声もある。確かに、広い展示スペースから見ると、多少の寂しさを感じないでもないが、あえて自己主張するかのような大型模型を誇示した初期の展覧会から、年を重ね、穏やかな大人の帆船模型展に成長したのかな~。我が家に置くにふさわしいサイズに落ち着いてきたんじゃなかろうか・・・・、そんな感慨を持っている。
このところ、終日、パソコンの前に座って出品作品の写真整理に追われている。撮影した写真の一枚一枚を現像(デジカメ写真は、そのままでは、フィルム写真のネガのようなもので、パソコン上で写真の色を造ってゆかねばならない)しながら、作品たちを振り返っている。「彫刻ばかりで、船は造らないんですか?そんな事言われてしまったんでね~」と、今回は、例年出品の船首像と併せて“グレート・ブリテン”のユニークな構造模型を出品し、皆を驚かせた宮島さん。総帆に強い風を孕み、ヤードをしなわせた“ノルスケ・レーべ”の大型模型に、海原を行く雄大な姿を再現して見せた佐々木さんの作品。目立たない素朴な作品ながら、じっくり見ているとその精緻さに驚かされる船も多かった。
カメラを向ける角度によって、さまざまに変化し、思いもかけずリアルな帆走の姿を見せてくれたのは、川島さんの“ルビーⅡ”。「ザ・ロープ」創設の柱だった故竹内会員がデザインした模型である。拡大鏡で見たいような根本会員の小型"ビクトリー"。牧野さんの"プレジデント"、三上さんの"グラナード"は、作品の後ろに、誠実な人柄をうかがわせる。定番になった安藤さんのカットモデル"レゾリューション"。
幕末の帆装蒸気軍艦に絞った作品を見せてくれている竹本さんは"千代田(初代)"。赤道さんは、この7年、"明治丸"に執念を燃やし、今回の出品は、その2作目で、第一作と併せて東京海洋大学への寄贈が決まっているという。船造りばかりでなく絵にも情熱を注ぐ松本さんの"ウィル・エバラード"は、さすがの色彩感覚だ。緻密な彫刻で飾られた作品が多くなったのも、近年の特色で、村石さんの"ロイヤルヨット"。中江さんの"ル・ルカン"など。
圧巻だったのは、久保田さん出品の”ダイアナ“だ。六十分の一の大型構造模型を1年8ヶ月で組み上げたエネルギーには感服のほかない。久保田さんは82才。最年長会員の一人である。・・・・と、挙げてゆけば限りがない。その楽しさに惹かれて、第一回から出品作品の撮影を担当してきた。そしていつも思うのだが、展示台からカメラの前に置かれ、ライトを浴びた船たちは、船たちを前に、出品者、お世話役・・・一緒に記念撮影どの船も、見違えるばかりにその個性と輝きを見せてくれることだ。
120人を越えた会員、60隻を越える出品作品だ。当然ながら、製作技量はそれぞれだが、そんな事を超越した見事さに驚かされる。それは、一隻、一隻に込めた作者の丹精と情念に他ならない。あるいは、教室に並んで、教壇を見上げる子供たちと同じなのかもしれない。出品作品で言えば染谷さんの"フライイング・フィッシュ"のような素直な優等生、後ろの方には、いまにもいたずらに走りだしそうなヤンチャな船たちもいる。でも、ライトを浴び、晴れがましく、胸を張ってカメラの前にいる船たちは、今回のオープニング・パーティーは、遠路帰宅される会員学芸会を考え、午後3時に乾杯した。これも老齢化対策か・・・・。の晴れ舞台に立った我が子を見るような思いでもある。
今年もアメリカから、友好クラブSMAのディセルボ会長と、シカゴにある全米の船舶模型クラブを統括するNRG(NauticalResearchGuild)のワーナー会長など7人が奥様同伴で訪ねてきてくれた。船の科学館アドミラル・ホールで、宿願のセミナーを開くことが出来た。単なる相互訪問を超えた日米両クラブの交流の質を深めた意義は大きい。
さらにこのセミナーに横浜、オーサカ、神戸、札幌の仲間がセミナーに積極的に参加してくれたこと、全国帆船模型仲間の同好会である日本帆船模型同好会協議会(JSMCC)の連帯を感じ、嬉しくもありがたいことだ。それにつけても、「ニューヨークの五番街のど真ん中とも言うべき場所で、2週間もの展示が出来る。その上、船の科学館ワークショップと、素晴らしい常設展示場を持っている。あなた方は、世界中で最も恵まれた趣味の会だ。信じられないほどの幸せに、ただただ、羨ましいというだけだよ・・・・」ディセルボSMA会長が残した言葉を忘れられない。
終わりに一言。今回展の会場設営、撤収に関して、船の科学館、羊蹄丸を中心に活動する「夢工房」と「ワイワイクラブ」メンバー有志9人の協力を仰いだ。帆船模型売り場が無くなったいま、彼らの協力で、会場設営がスムーズにはかどった事を会報紙上を借りて会員諸兄にお伝えし、メンバー諸氏に感謝の言葉としたい。ワイワイ・クラブ(YYK)とは、SMAのメイフラワー・クラブのように、毎月第3土曜日の午後、羊蹄丸に集まる仲間の勉強会会場設営、撤収、協力のボランティアーで、その名の通り“ワイワイ・ガヤガヤ”と模型談義を語り合う約20人の会だ。何の縛りもなく、参加したい時に随時出席している。
新入希望者は大歓迎。世話人の松本さんに連絡のこと。
(東 康生)